《親父とギャンブル》

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こんばんは。

先日、父親が82歳で亡くなりました。最後の1年間はずっと病院に入院していて口から食事を摂ることもできず、水を飲むこともできませんでした。

鼻から胃に管を通され、必要な栄養はそこから直接流し込まれ生きていました。最終的には点滴だけになりすこしづつ痩せ細り、体重は健康な時の半分にまで減り骸骨のようになって死んでいきました。

だんだん痩せて、手足が鉛筆のようになり、歯が抜け、次第に目から光が失われていく。近くで見ていて本当に辛く苦しい1年間でした。

とにかく早く楽にしてやりたい。そんな気持ちで毎週父親の病院に通い続けました。
入院中の父親とはよくギャンブルの話をしました。

僕の父親は仕事を定年退職してからの20年間ずっと競輪をしていました。元気な時は毎日競輪場に通い車券を買って家のテレビで観戦していました。

競輪場に行けなくなってからは、電話投票に切り替え車券を買い観戦していました。
入院中もたびたび競輪がしたいと言っていました。「元気になったら一緒に競輪場にいこうな」と声をかけ元気づけていましたが、結局退院することなく死んでしまいました。

僕の父は若い頃は麻雀が大好きで、しょっちゅう徹夜麻雀をしていました。ゴルフする時は必ず握り、家族でトランプする時も必ずお金を掛けていました。

「金を掛けないで麻雀やって何が面白いんだ?」
「ゴルフは握らなきゃ上手くならない」

とよく言っていました。そんなギャンブル狂の息子の僕はパチンコ中毒に悩まされました。

血は争えない。まあ当然の結果というか。環境が人を作るというか。

親父は自分がギャンブル依存症だと自覚することなく死んでいきました。ある意味幸せだったかもしれません。

博打を打つ男の美学みたいなものを本当に信じていたのかもしれません。

親父が死んだ後、遺品を整理していたら20年前の競輪の収支表が出てきました。

1ヶ月間の親父の戦績は4勝16敗、終始はマイナス30万円。

驚きました。もうちょっと勝っていると思いました。20年間毎日車券を買って部屋には競輪のカレンダーが飾ってあり、ほとんどの選手の競争得点を把握していました。

あそこまで研究しても勝てないのか…。とても悲しい気持ちになりました。

「おい、親父もうちょっと勝ってくれよな。」

親父は、僕よりは勝負事に長けていると思っていました。親父は勝負強いと勘違いしていました。

でも、親父も僕と同様勝負事には全く向かない引きの弱い男でした。

引きが弱いにもかかわらず、ギャンブル中毒から抜け出せないただの養分だったのです。

悲しいですがそれが現実。悔しい真実です。

親父が身をもって教えてくれました。ギャンブルは勝てないものだと。

ありがとう親父。

でも僕はギャンブル好きの親父が好きでした。
ギャンブルに熱くなってる親父が大好きでした。

ありがとう親父…。

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